デジタルアタッチ版Office home&business2024がPCにインストール&ライセンス切り替え不可から 可能になった手法

 あくまでも、自分のHPのPC上で可能になった手法です。汎用的な解ではないです。また、マイクロソフトサーポートの方に、1に関して助けていただきました。まずは、 マイクロソフトサーポートセンターの方にご連絡されたほうがよいかもしれません。こちらから、お問い合わせ – Microsoft サポートお問い合わせができます。[家庭向けサポート]-[枠内に、「Officeインストールできません」]などの文言を記載。]-[下の「お問い合わせ」を押下]。お問い合わせを押下したのちに、自分の場合は土曜日に、約4~5時間待って、電話がマイクロソフト社のサポートセンターから入電がありました。余裕がある日に、お問い合わせを行うことがおすすめです。  自分が直面していたことは、 デジタルアタッチ版Office home & business2024を購入した際にもかかわらず、officeを開いたら、以前自分が使用していた、デジタルアタッチ版でない Office home & business2019のライセンスのみが存在しているということ。 様々な手法を試している中で、できたので、参考の一つにしていただけたら幸いです。 大まかに、二つの課題、その解決策に分けてご説明いたします。 1.デジタルアタッチ版 office home & business2024が、 「インストール済みアプリ」にも、「Microsoft Store」のライブラリにも存在しない。2.「Microsoft Store」の「ライブラリに存在」し、デジタルアタッチ版 office home & business2024を要求するも、デジタルアタッチ版 office home & business2024がインストールされない。 1.デジタルアタッチ版 office home & business2024が、 「インストール済みアプリ」にも、「Microsoft Store」のライブラリにも存在しない。 → 別アカウント例えば、 [設定]-[その他のユーザー(家族の項目の下)]-[ユーザ]の作成で、 メールなどを設定せず、 testアカウントを作成できる。 [その他のユーザー]の項目が、既に、他ユーザーがあり、その影響により、その項目がなければ、[設定]-[メールとアカウント]の上部の[アカウントの追加]より、 testアカウントを作成する。 → 今のアカウントから退出して、testアカウントの「Microsoft Store」-[ ライブラリ]-[デバイスに含まれる]を確認すると、デジタルアタッチ版 office home & business2024が存在する。 → office home & business2024の横にある[要求する]を押下 → office home & business2024は[windowsアイコン右クリック]-[インストール済みアプリ]としては表示される。 しかし、エクセルなどを開いた際、ライセンス切り替えで2019のみで、2024は表示されず。 […]

欲望、願望

 人は多くのものを託されて生まれ、生きていると思う。 それは人によって異なると思う。  7\14のNHKスペシャルの小児病院を密着した番組で、生後1年に満たない子供が、小腸の機能不全、腎臓の機能不全等で、苦しんでおり、快復の兆しもほとんど見えない状況だった。そのような子供に生命維持装置で 無理やり延命させ、苦しませ続けるのは、酷なので、生命維持装置を取り外しましょうということだった。  取り外す予定の日の昼、ちんどん屋として生計を立てている父親がその子供に対し抱いていた 「父親の晴れ姿を生きているうちに見てほしい」という念願を、 富山の演芸場で、披露したちんどん屋をライブ配信で、その子供がいる病室のベッドから見てもらうという形で 叶えることができた。その日の夜、その子供は息を引き取った。  その生後一年に満たず、言葉も話せない、話せたとしても、痛みに苦しんでいる子供が、父親という存在を どういうものか認識していたかは私にはわからないし、父親の晴れ姿を見せられて、どういう気持ちだったかもわからない。もちろん、その後、生命維持装置を外されて息絶えるその瞬間、なにを考えていたかもわからない。  以前、安楽死を行う人に密着したNHKスペシャルを見た際は、息絶える日まで、視聴者である私からは元気そうにしており、会話をし、そして亡くなった安楽死当事者を見て、人の儚さを感じ、侘しい思いを感じた。しかし、今回のNHKスペシャルを通して、この子供は何のために、生まれ、そして息絶えねばならなかったのか。ということを考えてしまい、悲しみや、侘しさなどの感情に浸る暇が生じなかった。  この子供が生きた、もしくは生きさせられた理由の一つは、親の願望だと思われる。生きていてほしい。生きて、父親の晴れ姿を見てもらいたいという。さらに言うならば、中絶した子供であっても、水子供養を通して成仏してもらいたいという人々の願望により、この世に生を授けられなかったにもかかわらず、その人々により、この世に成仏の対象として存在を生み出される。  私は、そのような人の欲望、願望は良い結果になることもあり、悪い結果にもつながることもあると常日頃から感じている。私は、どちらかというと、そのような欲望、願望が悪い結果につながる経験を多くしているので、あまり、そのような欲望、願望を抱かないように無心になる瞬間を毎日一瞬でも設けるようにしている。しかし、それでも多くの欲望、願望は生じてしまう。  おそらく、多くの生きている人は、その様な欲望、願望が負の面に落ちないように、慎重に、丁寧に綱渡りをしている。しかし、そこから零れ落ちてしまう人もいる。そこから戻ってきたとしても、再び、負の面に落ちないように、綱渡りをしなくてはならないことにうんざりしてしまい、そのまま二度と浮かび上がってこない人もいる。  私は、二度と浮かびあがってこない人は、多くのものを抱えすぎ、もしくは抱え込まされているから、息継ぎをするまもなく、沈んでしまい、そのまま浮かび上がることができなくなったのではないのかと思う。継続的に投稿しなくてはならないという理想に負けてしまい、しばらくこのブログに投稿をしなくなった私のように。  先ほどの生後一年に満たないで、息絶えた子供に話を戻す。この子供は、多くのものを抱え込みすぎていたのだと思う。だから、それに耐えきれなくなり、息絶えたのではないのか。この子供は、小腸の機能不全、腎臓の機能不全などに陥っていた。少々のストレスにより、腸の調子がおかしくなり、悲観的に考えてしまう日常を送る私にとって、小腸の機能不全により、半分切るということはそれだけでも、死にそうなくらい絶望してしまうだろう。それを、この子供は、腎臓の機能不全という重しまでもその小さな身体に背負い込んでいたのである。しかし、親の欲望、願望がこの子供を支え続けた、つまり先ほど述べた、欲望、願望が生の側面として表出して、この子供は生きることができた。子供、両親にとって、大変な苦労をなさっていたと改めて思う。  人は長く生きれば生きるほど、背負い込む量が多くなる。しかし、自分も背負えるのではないのかと思い込んでしまう。そして、その重しを捨てようとしたら、世間体や、自尊心のために、捨てれなかったりする。  捨てすぎたら、背負うことができなくなり、地に足をつけた生き方ができず、この世と接点を持たない生き方になってしまい、それも人としての道理から外れてしまう可能性がある。だから、背負いすぎず、背負わなすぎず、生きていく。というある種当たり前の結論になる。欲望、願望を多く託されても、抱いても、自分の背負える量にそぎ落として生きていく。そのような当たり前を、世界で共有したら、余計な欲望、願望が生じずに、少し平和になるという願望、欲望を抱いてしまう。      

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